読書家は、世界を静かに変える人たちだ
2026.06.05

2020年4月、大学3年生だった私は、学生起業という形でYondemyを創業。 2020年12月に子どもが読書にハマるオンライン習い事「ヨンデミー」の提供を開始しました。
サービスは5周年、会社としては今月6期目を終えます。
本日プレスリリースとしましたように、累計会員数は3万人を超え、提出された感想は150万件を超えました。
Yondemyを起業してから最も多く問われたこと。それは
「本・読書って、本当に必要なの? 本を読まなくても死ぬわけじゃないけど、なんで読まなきゃいけないの?」
ということ。
当時私は学生で、会社で働いた経験もほとんどない。ヒト・モノ・カネ・チエ、何も持っていませんでした。
しかしヨンデミーのAIやアプリを作るために、まずは資金が必要。
そこで、VC(ベンチャーキャピタル)、外部の投資家からの資金調達を実施しようと、プレゼンをしてまわりました。
今は「読書を習う」という文化・慣習はない。
しかし、読書離れが進む一方で、読書の重要性はこれからも変わらない。
であれば、そのギャップを埋めるため、読書が習い事として求められるようになる時代がこれから来るはずだ!
私は何度も何度もプレゼンしましたが、正直なところ、ほとんどの人には全く相手にしてもらえませんでした。
「読書はいいことだと思うけど、ビジネスにはならないんじゃない?」
「僕はあんまり本を読んでこなかったけど、十分出世してきたし、楽しく幸せにやってるよ。」
そんな反応ばかりです。
「もし、世界で最も影響力のある100人が集まる場所で、名だたる世界のリーダーやセレブたちに向けて、90秒だけプレゼンができるとしたら、あなたは何を話しますか?」
今月の頭、とあるワークショップで、そんな問いが投げかけられました。
そこに集まる莫大な資産を持つ経営者たちに出資を請う?
例えばビル・ゲイツやイーロン・マスクは読書家ですから、Yondemyのことをわかってくれるかもしれません。
もしくは、エマ・ワトソンも大の読書家ですから共感してくれるかもしれません。彼女ほど影響力のある人にSNSでヨンデミーの紹介をしてもらえたら、一気にサービスが広まる。
経営者としての私は、当然そのようなことも考えました。
でも、その場で私の口を出たのは、全く別のお願いでした。
「本に救われたあなたの話を、聞かせてください」
目次
- 私の中で「読む」の意味が変わった
- 「読む」とはどういうことか
- 読書家が増えれば、世界は静かに変わっていく
- 読書の価値を社会に伝えるための「証言」
- 読書家の皆さんへのお願い
- 第二部へ
私の中で「読む」の意味が変わった
私自身、本に救われてきたからYondemyを立ち上げました。
小学生の頃は『都会のトム&ソーヤ』や『名探偵夢水清志郎事件ノート』を授業が始まったことにも気がつかないほど没頭して読み、図書室で出会った『カラフル』には衝撃を受けました。
高校生の頃には『ダレン・シャン』や『ハリー・ポッター』を洋書で、英語の勉強であることを忘れ宿題そっちのけで一気読み。(この経験で、英語への強い苦手意識が吹き飛びました)
「本がなければ今の自分はいない」と思っているから、そして「本さえ読めればなんとかなることが多い」と思っているから、日本中の子どもたちに読書教育を届けたいと考えました。
家庭環境や、偶然の一冊との出合いに依存せず、日本中の子どもたちに等しく、本が好きになれるきっかけを届けたい。
本は学びに効く。
本は心を支えてくれる。
本は人を変える。
どれも本当です。
Yondemyのプレゼンをするたび、幾度となくこのような説明をしてきました。
でも、6年間この仕事をしてきて、それだけでは全く言い切れないと思うようになりました。
「読む」ということは、むしろもっと小さなものではないでしょうか?
先ほどのワークショップが終わった後、ある保護者の方が嬉しそうに教えてくれたエピソードがあります。
本が大好きなお子さんが、会話の中で何気なくこう言いました。
「オムライスって普通ケチャップがかかってるよね!」
すると、その子はすぐに言い直したそうです。
「いや、『普通』って言うのはよくないか。ケチャップがかかってることが、多いよね。」
感動しました。
「ああ、読書って、こうだよな」と、改めて深く思いました。
ただ語彙が増えた、という話ではない。
ただ読解力がついた、という話でもない。
その子は、「普通」という言葉が持つ、決めつけのような排他的なニュアンスに気づいて、立ち止まって、言い換えたんです。
本を読むことで、人は、自分が見たものや知っていることが全てではないと気づく。
本を読むことで、人は、言葉に想いが込められていることを知る。
本を読むことで、人は、自分の外にいる誰かを想像することを覚える。
「読む」とはどういうことか
私はYondemyを起業してからたくさんの読書家に会ってきました。
また、Yondemyに集まるメンバーも、人生を本に支えられてきた読書家たちです。
「読む」というのは「本を読む・文章を読む」というだけの話ではない。
そのように日々感じています。
異なる意見を持ちつつも、相手の考えを頭ごなしに否定することなく、「なぜそのような考えに至ったのか」を丁寧に汲み取り、対話しようと努める人。
この人は、本を通して、生きた時代も囲まれた環境も全く違う著者の考えを理解しようと根気強く読んできたのだろうと感じます。
何の変哲もない子どもの落書きを、全力で面白がり、時に感動している人。
この人は、本を通して、自分なりの解釈で自分なりの意味を見出したり、そこに書かれていない背景やそこにある感情を想像したり、豊かな世界の見方を育んできたのだろうと感じます。
今、私にとって「読む」とは、ただ物語を消費すること、ただ知識を得ることではありません。
「読む」とは、例えば、立ち止まること。
すぐにわかった気にならないこと。
問いを持つこと。
自分の外にいる誰かを想像すること。
そこにあるもののその先へ想いを馳せること。
そのようなものではないでしょうか?
もちろんそれらは本を読む人だけの専売特許ではない。
でも、本はそれをたっぷりじっくり練習できる場所だと思う。
そして、本の上で鍛えられたその力は、本の外でも生き続ける。
読書家とは、決してたくさん本を読む人ではありません。
私が今思う読書家は、例えばこんな人です。
誰かを傷つける言い方をしそうになって、言葉を言い直せる人。
議論が枝葉に流れていったときに、「そもそも」を問い直せる人。
自分と違う立場の人を、すぐに断定せず、「どうしてそう考えるんだろう」と想像できる人。
このnoteを読んでくださっている方も、そういう経験があるんじゃないかと思います。
送ろうとしたメッセージを、一度消して書き直したこと。
目の前の誰かに反論したくなった時に、「でも、その人なりの前提があるのかもしれない」と問い直したこと。
強い言葉で言い切ろうとした時に、「相手に勝ちたいのではない、分かり合いたいんだ」と踏みとどまったこと。
「読書家」なんて言うと大袈裟に聞こえるかもしれない。
でもあなたが「読む」を積み重ねてきたことで、日々のそんな一瞬一瞬が生まれている。
読書家が増えれば、世界は静かに変わっていく
私は、そういう読書家たちが、世界を静かに変えていると思っています。
派手な革命を起こすわけじゃない。
でも、家庭の会話を変える。
職場の議論を変える。
SNSでの言葉の交わし方を変える。
例えば家庭なら、「普通はこうでしょ」で終わらせないこと。
職場なら、本当に大切なことは何かを問い直すこと。
SNSなら、相手の視点に立って物事を捉え直してみること。
そういう小さな変化は、地味です。
でも私は、平和って、本当はそういうところからできていくものだと思っています。
世界の分断は、いきなり大きな場所で生まれるわけじゃない。
誰かを雑に決めつけること。
言葉を乱暴に使うこと。
わからない相手を、わからないまま敵にしてしまうこと。
そういう小さなことの積み重ねが、やがて大きな分断になる。
だとしたら、その逆もきっとあるはずです。
立ち止まる人が増えること。
問い直せる人が増えること。
言葉を選び直せる人が増えること。
自分の外にいる誰かを想像できる人が増えること。
そんな人たちが増えたら、社会の分断は少しずつ縮まり、世界は今より平和に近づいていくんじゃないか。
SNSでは、投稿や記事を読む前に反射的にリアクションし、その記述の真偽や背景を考える前に断定し、相手の状況や立場を想像する前に遮断する。
そんな分断が加速する時代だからこそ、私は読書家が増えたらいいなと、思っています。
読書の価値を社会に伝えるための「証言」
ただ、その価値は見えにくい。
読書には、数字で見える成果もある。
学力の伸びは見えやすいかもしれない。
でも、数字では見えない価値こそ伝えていかなければいけない。
何度もプレゼンをしてきました。
「読書は必要だ」と、私なりに一生懸命説明してきたつもりでした。
でも、うまく伝わらなかった。
今ならわかります。読書の価値は正しさだけでは届かないのかもしれない、と。
それなら必要なのは、もっと生きた言葉なんだと思います。
読書家である皆さんの本人の言葉です。
一人一人が、自分の人生の中で本がどう効いていたのかを、自分の言葉で話すこと。
それが集まってはじめて、読書の見えにくい価値は、輪郭を持って社会に伝わっていく。
あの90秒で、私が「本に救われたあなたの話を、聞かせてください」と言ったのは、そういう理由からでした。
それが、読書の価値を社会にちゃんと伝えるための、証言だからです。
あなたのそのエピソードで、周りの読書家も巻き込んで、私と一緒に世界に向けて「読書はこんなにも素敵なものなんだ」と発信してほしい。
読書家の皆さんへのお願い
だから、このnoteはまず、大人の読書家に向けて書いています。
Yondemyは子ども向け読書教育から提供を始めました。
でもそれは、子どもだけに本を読んでほしいというわけではありません。
むしろ、子どもたちに届けたい未来・社会を、本当の意味で支えるのは、既にこの社会の中にいる大人の読書家たちだと思っています。
私はYondemyを起業してから多くの読書家と話してきましたが、本を読んできた人ほど、それを大袈裟に言いたがらない気がします。
あなたが本を読んできた時間は、単なる趣味ではなく、あなたの言葉や判断や関わり方の中に、ちゃんと残っています。
「本を読んできて、よかった。」
そんなふうに思ってほしい。
もし、このnoteに少しでも頷くところがあったなら、お願いがあります。
あなた自身の本の話を教えてください。
本に救われた話でも、本があなたの言葉や人生に効いた瞬間の話でもかまいません。
短くていい、1エピソードでいい。
どんな形でもいい、SNSでも、記事でも、コメントでも。
その話が、まだ本に出合えていない誰かの背中を押すかもしれない。
「読んできてよかった」と思えずにいる誰かに届くかもしれない。
もしSNSでポストされる時は、引用でもDMでも良いので、教えていただけると嬉しいです。
そして、できればこのnoteを、あなたが信頼している読書家に、一人でいいので手渡してください。
このnoteは広く届かなくても良いです。
ただ、1人でも多くの読書家に、この未来を知ってほしい。
読書家から読書家へ、静かに手渡されていくことで、世界は少しずつ、しかし確かに変わっていくはず。
私はそう信じています。
第二部へ
Yondemyがこの未来を実現するため、どのような事業に取り組んでいるのか。
「ただ子どもに本をたくさん読ませるだけ」ではない読書教育。
学びの構造そのものを根本から変える読書教育。
子ども向け事業を始点として、今まさに踏み出しつつある次の挑戦と、描いている構想。
その話は、明日のnote(追記。「日本全体の読む習慣・学ぶ習慣を支える」)で書かせていただきます。
ぜひお読みいただけると嬉しいです。


